最近は、権力にべったりの恥知らずな似非ジャーナリストがテレビで目につく嫌な世の中になっていますが、「筑紫哲也さんと鳥越俊太郎さんは日本の戦後を代表する本物のジャーナリストである」と誰もが認めるところだと思います。闘病生活についてもマスコミに広く開示されてきた方々ですので、お二人とのご縁について少しご紹介してみようと思います。いろいろな意味で、がん治療について考える縁(よすが)になると思います。
およそ9年前、筑紫哲也さんご本人から突然お電話があり、ご自身の肺小細胞がんについて治療の相談を受けました。残念ながら全身にがんが転移した状態で完治は期待できず、延命と症状の緩和が主目的となりました。そして、7月から10月にかけて3ヶ月間余り鹿児島に滞在していただき様々な部位に放射線治療を行いました。
オンコロジーを受診される前にも様々な治療を受けておられましたが、長期にわたる全身への抗がん剤治療と鹿児島に来る直前に受けた骨転移に対するストロンチウム治療の影響で、血液中の血小板の数が著しく低下した状態でした。そのため、血小板の輸血を長期間に渡り継続する必要がありました。本当は、小細胞癌なので抗がん剤も無理でない形で組み合わせたかったのですが、血小板が少なかったので、とても抗がん剤を使えるような血液状態ではありませんでした。この点は想定外で少し残念でもありました。
鹿児島では、毎月1回PET-CTの検査を受けていただき、その都度、その結果に合わせて放射線治療を検討しました。PET-CTで全身を詳細に調べると、骨転移やリンパ節転移が多発しており痛みも伴っていたので、それらの治療が全体の七割近くを占めましたが、苦慮して治療の内容を考えたこともあって、今も印象に残っているのは、黄疸が出るほどに広がった肝転移を放射線治療で消失させたことやご本人の希望に従って全脳照射を行うことなく脳転移を消失させたことなどです。
結局、胸水の増加に対して放射線治療ではどうすることもできず、ドレナージをして10月末で治療を終了し東京へお帰りになられました。そして、しばらくしてご家族に見守られながら静かに永眠されました。鹿児島で治療を始めるときに私が立てた目標は、「なんとかもう一度だけでもお仕事をしていただくこと」でしたが、目標に到達できずに申し訳ないと奥様にお話ししたことを覚えています。けれども、PET-CT検査の度に治療した部位がきれいに消えていたこと、それにもかかわらず新たな病巣が出現してしまうことなどを、ご本人ご家族とともに確認しながらの治療でしたので、鹿児島での治療に感謝していただき、恐縮したことも覚えています。
そして、本当にお忙しい生活を何十年も続けて来られた方が、治療のためとはいえ、ご家族の皆様と鹿児島でゆっくりと3ヶ月余りを過ごされたことは、大きな、そして大切な思い出になったようです。現在に至るまで時々ご家族からお声をかけていただき、結婚式にご招待いただいたり、大切な方のがん治療を依頼していただいたりしています。
筑紫哲也さんという方は、ジャーナリスト、アンカーマンとしてテレビで観ていたときには知性と教養と判断力に優れた「左脳タイプ」の方という印象を持っていましたが、数ヶ月間、傍らで診させていただいて、実は感性も飛び抜けた芸術に精通した超一流の「右脳タイプ」の方でもあることがわかり、本当にすごい人物であることを実感させていただきました。
筑紫哲也さんなら、現在の滅茶苦茶な政治状況に対して、どのような「喝」を入れるのか・・・。本当に残念です。
鳥越俊太郎さんとの最初の出会いもTBSの主催で行われた筑紫哲也さんとのお別れ会でした。「筑紫哲也さんを亡くして、私たちは羅針盤を失ったみたいだ」という言葉が今も印象深く記憶に残っています。そしてその後、飛行機で偶然に隣の席に座るなどのご縁もあり、お話やお食事をさせていただくようになりました。
鳥越さんは当方で治療を受けられたことは一度もありません。ただ、そのご病気の治療経過から、ステージ4のがん治療において大切なのは抗がん剤ではなく免疫力であるという私の考え方とまったく同じことを考えておられますのでご紹介させていただきます。
鳥越さんはご自身の著書で述べられておられますように、大腸がんを手術されました。その後、主治医の勧めに従い、3年間にわたりいわゆる標準的抗がん剤の内服治療を受けられました。きちんと継続されたそうですが、点滴の抗がん剤と違って副作用は全くというほどなかったそうです。けれども、効果もありませんでした。
というのも、手術から1年後に肺転移、2年後に反対側の肺転移、3年後には肝臓に転移が出ました。それぞれが単発で、その都度外科手術で切除を受けられました。つまり、きちんと抗がん剤を内服していたのに毎年転移がでていたのです。そして、標準治療を正しいと信じている方にとっては意外なことかもしれませんが、抗がん剤を飲み終えた4年目以降は、今日に至るまで6年以上どこにも転移がでていないのです。
4年目以降もきっちりと検査を受け、経過観察を続けてこられての結果ですので間違いはありません。発病から10年以上たった現在、再発転移なくお元気に喜寿を迎えようとしておられます。
「抗がん剤をまじめに飲んでいた間は毎年転移がでていたのに、飲むのを止めたら転移がでなくなった。」この鳥越さんの臨床経過は、コラム「オンコロ的奇跡の連鎖」や、5年以上経過した方だけにお願いしているアンケート結果で紹介している「ステージ4を克服し完治した」と思われる患者さん達の経過と共通しています。
世の中には抗がん剤治療などの薬物療法で延命されている方もいますので、無意味な全否定をする気は毛頭ありませんが、実際には効いてもいないのに、標準治療の名のもと、無駄に抗がん剤治療を受けておられる方は数えきれないほどいます。また、ステージ4の患者さんの中には抗がん剤治療から離れることで病気の完治に繫がった方も、全体からみれば比率は低いですが、確実におられます。
残念ながら多くの患者さんは標準治療という言葉に負けてしまいます。ほとんどのがん治療医が推奨しているのですから、素人の患者さんがそれに従うのはむしろ自然なこととも言えるでしょう。けれども、自分にとって正しい治療は何であるのか、これを考えることこそ「がん治療の1丁目1番地」であると肝に銘じたいものです。効いていない治療を無駄に続けてしまうことほど虚しく有害なことはないと思います。残念ながら、いわゆる標準治療は必ずしも完治を目指したものとは限りません。がん治療を受ける際には健全な猜疑心を持って自分の受けている治療を見つめることがとても重要だと思います。