手記をお寄せくださったのは多発骨転移を伴っていたステージ4の前立腺がんの方です。
2007年から2008年にかけて治療前のPSAの上昇速度が速く、前立腺がんとしてはタチの悪い部類に入ると思われ、しかも骨転移があったのに、その後の治療により8年以上再発・転移なく、完治していると思われます。
最初の病院で細胞の検査が上手くできず、結局「がんではない」と誤診されたこともあり、治療が遅れてしまい、確診がついた時には、すでに骨転移が認められていました。
ステージ4なのでホルモン療法から始めるのは、ごく自然な判断です。多くの場合、おどろくほどホルモン剤が効いて、あたかも病気が治ってしまったかのような錯覚に陥るのが、前立腺がんの特徴ともいえます。しかし、ホルモン剤がよく効いてくれるのは2-3年までのことが多く、5年以上効いている人はまずいません。
一般に、ホルモン剤が効かなくなると、タキサン系の抗がん剤治療を勧められてしまうことが多いのですが、これは逆効果だと思います。PSAの値はしばらく下がることが多いのですが、前立腺がんの場合は高齢者が多いので、抗がん剤のダメージを引きずってしまい、寿命はかえって短くなってしまいます。
この方は、自らの判断で放射線治療を選ばれ、成功に繫がりました。骨転移が4カ所もあったのに、治療終了後、無治療なのに5カ所目がでてこない、つまりステージ4なのに完治したと思われるケースは、オンコロでは時々あることですが、通常の抗がん剤治療を選んでしまうと、まず起こりえないだろうと思っています。
また、ホルモン療法を1年半で止めてしまうのも、教科書的には不適切なのでしょうが、どうせいずれは効かなくなるわけですから、早めに止めてしっかり経過をみる、必要になったら再開するという選択肢が世の主流でないことがむしろ不自然に思われます。
「前立腺癌 骨転移からの生還」 平成30年1月 宮0陽
私は1936年6月生れの81歳であります。
2009年1月から2月にかけてUMSオンコロジークリニック(当時 UASオンコロジーセンター)にて第三及び第七肋骨、仙骨、恥骨等に転移してしまったステージ4の前立腺癌(T3N0M1)の治療を受けました。
以来2018年1月今日に至るまで、前立腺も骨も含めて癌の再発は一切無く、治療による副作用及び後遺症も皆無にて日常を楽しんでおります。
放射線治療を挟んで、2008年の4月から2009年の12月まではホルモン療法も受けましたが、2010年からは全くの無治療で8年間、健康に暮らしています。
放射線治療の前年2008年5月に初めて植松先生にお目にかかったのでありますが、それまでの経緯を以下に略記します。
2007年2月:在住の東京都多摩市のクリニックにてPSA値(prostate-specific antigen)が6.1と高めであることが判明。
5月:同クリニックで再測定したところ8.3と上昇していた。
6月:上記クリニックでの測定諸結果及びMRI検査結果を持参の上、
都下K大学附属病院にて受診。
臨床検診では明らかに癌である旨の診断を下されたが、続く生検による検査で癌細胞が一つも認められなかったとのことにて無罪放免となる。
なお、この時生検に先立つ臨床診断に於いて臨床医から「癌は悪性の懸念があり、一年これを放置した場合、即ち一年後の検査であれば間違いなく骨に転移していたであろう。あなたは誠にラッキーであった。ただちに治療を開始しよう」とのコメントがあった。にも関わらず、病院は生検の結果を優先。これを結論とした。
私としては納得行かず臨床医を通じて生検結果の差し戻し、再検査・再検討を申し出たが聞き入れられなかった。
11月:成り行きに不安を感じていたので、前述のクリニックにてPSA値を測定したところ12.56にはね上がっていた。
2008年3月:都内K大学病院に検査入院。生検12カ所中6カ所から癌細胞が確認される。前立腺癌と診断。
4月:MRI、CTスキャニング、骨シンチグラフィティー等検査を受け
骨転移が確認される。(先の都下K大学附属病院 臨床医の診断が正しかったことが実証された。)
この時点でPSA値は24.9に上昇していた。
内服(カソデックス)及び注射(ゾラデックス)による治療開始(骨転移の為、外科手術による治療は不可)
5月:セカンドオピニオンを求めて、上京された折の植松先生に会う。即日お世話になることを決める。
5月:PETセンターにてPET検査。前立腺癌の原発巣と4カ所の骨転移を確認。ホルモン療法のため放射線治療開始を2009年1月とする。
少し長くなりましたが、以上がUMSオンコロジークリニックで植松先生と福井さんはじめチームの皆さまにお世話になり、助けていただくまでの経緯であります。
既述いたしましたように、私の場合、癌と診断された時点で大きく分けて3つある治療選択枝の中、外科手術は除外せざるをえませんでした。実は転移が判明していない2007年の時点では小線源放射線治療が念頭にあり、外科手術に対してはあまり熱心ではなかったように思います。
残る2つの選択肢の中、内服薬・注射等による治療につきましては、個人的に恐怖心と言いますか、アレルギー症状が先だってしまい飛びつくことができません。多岐にわたる副作用・後遺症が恐ろしいのです。癌の種類により、薬の種類により同じ癌でも個人により、苦しみや困難は様々で場合によっては癌そのものの辛さに匹敵するとさえ見聞します。Quality of lifeは相当低下するのではないでしょうか。
それに素人故詳しくはわかりませんが薬物治療の場合、どうしても一種のエスカレーション的なことはさけられないのではないかと思ってしまいます。つまり治らなかった場合ですが、使い続けるなかに薬の強度を増して行かざるを得なくなるのではないでしょうか。どうしても不安や恐怖を払拭することができません。
ここに至って放射線治療が唯一の頼みの綱となりました。
2008年の時点で日本での放射線治療は非常に遅れているといわれていました。
放射線医、放射線技師共に質・量に亘って不十分・不足と聞きました。
そこで実はアメリカでの治療も考えました。優れた医療大国 日本でなぜそんなことになっているのか非常に疑問でした。少し調べて解ったのは、日本医学会独特の縦割りに基づく雰囲気・規則・疎外等々と共に、見逃せないのは日本人のメンタリティー(放射線治療に対する考え・接し方)と言ったものが理由・原因ではないかということでした。放射線で想起されるものと言えば、原子爆弾・原子力発電それに今や癌の放射線治療があります。
広島、長崎への原爆投下という悪魔の洗礼を受けた日本人が放射線にアレルギーを起こしトラウマを発症するのは理解できます。(それにしては戦争を絶対悪と見放す不退転の決意が為政者からは感じとれません。)
原爆の怖さは放射線や放射線物質を含んだ廃棄物と人災や天災によって制御不能になった時の放射能です。人類は解決の手立てを持っていません。半減期は殆ど半永久の問題として存続し続けます。福島の苦悩は終わることなく続きます。(ここでも為政者はeverything under controlと白々しい見得を切り、目先の利益を追求し、時としてlip serviceを口にするもの、問題そのものを敬して遠ざける風が伺えます。)我が国ではこれらの原爆・原発に対する一部まともなしかし何か妙な見方・感覚があってこれが放射線医学・医療の発展にブレーキになっている様に思えてなりません。
だとすれば極めてアンフェアー(unfair)なことを言わねばなりません。早く欧米並の正しい理解・認識レベルに到達することが必要だと思います。
私も勿論放射線治療に対する不安はありました。就中、薬物療法に依る場合と同じ様に患部以外の健康な臓器に及ぼす影響については心配でありました。
2008年5月3日、何の縁やコネも無く、誰の紹介も得ずに、植松先生とお目にかかることができ、ご説明を聞くに及んでたちどころに私の懸念は一掃されました。即ち四次元、つまり時間の次元を取り入れることによって臓器の動きによる誤差を補正出来、ピンポイントにより精度を持たすことが出来る。よって周囲の正常な臓器にダメージを与えることが少ない⇒次元の高い副作用・後遺症対策となる。
次に治療はチームワークであること。いくら医者の診断・治療方針が正しくとも実際事にあたる放射線技師の方々の技術・技量が伴わなければ優れた治療は出来ない。
また、コンピューターを始めとする技術・機械・機器の進歩はめざましく、これに依る所 大ではあるものの、最後の決め手となるのは結局の所、人の力、人の技術であること。これを飛行機の操縦を例にとって話されました。即ち離陸して安定飛行に入れば機器に任せても良いが離陸及び着陸の操縦はパイロットの腕に依るところとなるということですと。
現役時代半導体関係の優れたエンジニアの方々とお話する機械の多かった私にとってこれらの植松先生のご説明・お考えはいちいち腑に落ち、納得のいくもので即座にお世話になることを決定することができました。
心細い癌患者にとって正に福音でありました。
教育や口コミを通じてもっと多くの人々が放射線医学や治療について正しい理解を持つことを願ってやみません。UMSオンコロジークリニックをはじめとして、日本国中の放射線医療がもっともっと発展することを念じています。臓器によるものでしょうか。私の場合癌治療が全く大変なものではありませんでした。
実に感謝の他ありません。私は例外的にラッキーであったのでしょうか?!